「世の中は優しさに溢れている」、っていう僕が言うと気持ち悪いことを書いてみた【ラジオ】

こんにちは。

起きたら外は超快晴だったので洗濯しとけば良かったなぁ井浦です。

昨夜、久しぶりに買ったミルクティーを気管に入れたためムセて、

ハンドル周りをビシャビシャにしました。

ついでに股間もビシャビシャにしました。

制服のですよ。

■ラジオを聴いています

お仕事中、

なにかと聴いているラジオ。

FMがメインで特に聴くのがNACK5。

埼玉がキー局ですが、

ウチのタクシーは受信できるので毎回聴いています。

ちなみに、シェアしてる車の代車は受信できませんでした(笑)

ラジオを聴く理由は色々あります。

テーマに寄せられるメッセージを聞いたり、

音楽を聴いたり、

交通情報や気象情報を聞いたり、

ラジオショッピングで「貴重って言うのに毎週売ってるよな」って独り言を言ったり、

CMに「パチンコでスリルはあっても、ドラマはないだろ」と突っ込んだりしています。

■そんななか

たしか、なにかのテーマに対するメッセージだったと思います。

あるリスナーが答えたものに、

「スーパーのレジで、商品をレジ台に置かないでほしい」

というものがありました。

理由は、

「床に置いたりするカゴを乗せるレジ台に、商品を置くのは不衛生に思う」

ということでした。

それを聴きながら、僕は「大袈裟な!」と思いつつ、

パーソナリティの「あ、言われてみたらそうだね」、

というコメントに頷いちゃいました。

■気づかなくて良かったなぁ

いままで思いもしなかったこと。

レジ台が不衛生なんじゃないか、ということ。

ラジオを聴いて気付いてしまったので、

これからスーパーやコンビニに行く度に

「このレジ台は・・・」

って思っちゃうんだろうなぁ。

余計なことしてくれやがったなぁ、このリスナー。

■別のコメントで見方が変わる

別のタイミングで、パーソナリティがこんなことを言ってました。

「機械化されたことで、愛情に気がついた瞬間があった」

「人の手にあったから、今まで気付かず無意識に受け取っていたことがある」

「それは、自動ご飯よそい機」

動画はネットから拝借しました。

「人間の尊厳が失われたような気がする」というもので、

パーソナリティはこれを引用していました。

この「尊厳が失われたような気がする」理由というのは、

無機質にご飯がボトボトと茶碗に落ちてくる様が

「エサを与えられているよう」ということらしいんです。

で、この機械が出てきたことで、

「ドコの誰かもわからないおばちゃんだけど、

ご飯をよそってもらうのに愛情を感じるようになった」

と言うんです。

言われてみれば、そうかもしれない。

僕、この機械を「松屋」で見たことあったんですよ。

でもそのときは、「尊厳が」なんて思わなかった。

スタッフの負担軽減のため、量の均一化のためという効率化だと思ったので、

なにも違和感を感じなかった。

でも言われてみれば、エサという見方もできるなぁ、と。

だから最近見なくなったのかな。

きっといまでも使ってるはずですけど。

■些細な場面にも、人の愛情は宿る

大袈裟な気もしますが、

このやり取りを聴いてそう思うようになりました。

さっきのレジの話しで、

思い返してみるとレジ台に置かないレジの人っているんですよね。

そのときはなんにも思わなかったんですが、

きっと「不衛生に感じるかな」っていう配慮だったんですね。

その配慮、僕にとっては不要ですが、

「配慮する」って動機は人間だけのものですよね。

愛情とまではいかなくても、

人に対して配慮するって優しさからできる行為だから。

無意識に受け取っているけど、

些細な作法や仕草というのは優しさなんですね。

近い未来、人の仕事の7割り(くらい?)は機械に奪われると言われてます。

オートメーションできることに限らず、

AIによりロボット独自に応用しながら仕事の質を上げるらしいです。

僕のタクシーという仕事も、

自動運転の登場で安全快適に時間通りに目的地に到着する。

『ゆりかもめ』の路上版みたいな感じですね。

きっといまよりその方が事故は激減するし、

いつ目的地に到着するのか、

どんなルートで行くのか事前に確認できるとなれば、

これは早急に成り代わった方が世の中のためです。

ただ、もしかしたら、

自動ご飯よそい機のように、

機械化されたことで無機質に感じるようになるかもしれない。

ふと外を見て「今日はよく晴れてますね」と言ったとき、

「気持ちが良いですよね」という言葉に「本当にそうですね」と思うように。

渋滞に巻き込まれて到着が思ったより遅くなったため、

「遅くなってしまって申し訳ありません」という言葉に、

許しの気持ちを感じるかもしれない。

人の言葉の奥には、

言った人の気持ちがある。

杓子定規な言葉に人が不快感を感じるように、

機械化によって無機質に感じることもあるかもしれない。

いまでも色んなことが機械化されているけど、

遠い昔の人が交わしていた愛情のやり取りというものは薄れているかもしれない。

僕らが意識していないだけで。

些細なやり取りも、

人の手が入るだけで小さな優しい気持ちを産むものかもしれない。

そう思って仕事をすると、

きっと何処か違ってくるんじゃないかなぁ。

そんなことを思いました。

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