僕には幼少期からアダ名があった Part2【井浦家】

こんにちは。

お昼休みです井浦です。

『ユーリ!!!on ICE』を見ています。

そういうことです。

ボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリ

そういうことです。

■昨日の続きです

続きというか、

書こうと思っていたのに書いそびれたことがあります。

どうしても、それを言いたくて。

それは、

誰しもついやってしまうこと。

何かというと、

「子供に言い聞かせたくて繰り返してしまう」、

ということです。

なんのこっちゃですけど僕のボキャブラリーの問題は置いておいて、

親としては子供の間違いを正したくて、

ついつい口酸っぱく繰り返し言い続けてしまうことってありません?

んでそのうえ、

「何度言えばわかるの?」ってやつ。

これは特に余計(怒)。

ええ。

何度言われたって分かるはずないんです。

いや、

わかることもあるけど、聞き入れられないこともあるってことです。

昨日僕のアダ名は親父の戒めとして与えられたと書きましたけど、

それを返上したかのように公務員になった途端「惇」で呼ばれるようになりました。

矛盾してますが、まぁ大人として認めたという瞬間だったということでしょう。

で、根本である僕の『ドジ』は改善されたのか?というと、

まぁ改善されてはいないわけです。

いまだに忘れ物したり、

空気が読めないからしなくていいことや言わなくていいことを言ったりするし、

選択のタイミングを間違えてしなくていい全力疾走を始めたり、

手順を間違えて変な料理が出来上がったりします。

その度に「あぁ、ドジったなぁ」と言いつつ、

「俺はドジだもんなぁ」って思うわけです。

で、

もうドジだから仕方ないって自己肯定するんですよ。

言われすぎたせいで。

「だってドジだも~ん」って(笑)

言ってしまえば完全に逆効果。

ごめんね親父。

キミの次男坊は、いまだドジだよ。

でもね、

そういう見方で片付けないでほしいんです。

たぶんだけど、

それ以上に上手くいったことってあるはずなんです。

気付いてないだけで。

自分自身で気付いてないんだろうけど、

周りにいる人はもっと気付いてないと思います。

失敗は目に見えて目立つからでしょうけど、

出来てることにも気付いてほしいんですよね。

■ドジったことはアナタより僕が一番感じてるよ

でね、

ドジったことって本人が一番堪えてるんですよ。

たぶん。

人の気持ちはわからんから親にしてみても落胆するんだろうけど、

でもやっぱり、自分が一番堪えてる。

でね、

もうそれに触りたくなくなるんですよね。

もう落ち込みたくないし、

「何度言わせれば」って言われるの目に見えてるもの。

だからもう触れたくないんですよね。

失敗することより、

わかりやすく成功する方に目を向けたくなるんです。

ごめんね親父。

キミの次男坊は、ひねくれ者かもしれんね。

「何度言わせれば」というのなら、

『何度でも挑戦したくなる』言葉をください。

「やってみて、どうだった?」

「どうして上手くいかなかった?」

「どうやったら、上手くいくと思う?」

って言ってほしかったと思う。

あ、あと怒らずにね。

怖いから。

■その言葉は誰のため

常にそこまで考えて発言するのは難しいけど、

伝えるのであれば考えないといけませんよね。

相手に伝えたい言葉じゃなくて、

自分が納得したい言葉じゃないか?

溜飲を下げるための言葉じゃないか?

人に言うほど僕ができてるわけじゃないけど。

僕には「なんで?」すらピクッとする言葉です。

あ、叱るときというか怒ってるときに使われると。

「なんでできないの?ドジだから?分かってて繰り返すバカだから?」

って言われてるようで。

いくらやってみても、

些細なことで気をつければできることだけど、

ドジすることもあるんだよね。

だから「なんで?」と言われても、

「なんででしょう?」としか言えんわ。

だからさ、

そう言うより、出来たことに目を向けてみませんか?

■たぶん戦争もなくなるよ

嘘です。

でも、身近なイザコザや変な親子関係も少なくなるんでないかな?

あくまで僕の経験に基づくことなので、

専門家に言わせれば「は?」ってことかもしれないですけど。

まぁそこは気にしないで。

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